9/9ドリスヴァンノッテンについて日本一詳しくなる

Posted by in DRIES VAN NOTEN [ドリスヴァンノッテン]


「ドリスヴァンノッテンについて日本一詳しくなる」

今日は、ドリスヴァンノッテンについて少し詳しく書きます。
いままでドリスについてあまり詳しくない方のために、なるべくわかりやすく書きたいと思う。
(携帯で読んでる方は長文でゴメン?)
—-
ドリスヴァンノッテン
(略称として、ドリス、ドリヴァン、ヴァンノッテンなどと呼ぶ人がいますが、私は親しみを込めて「ドリス」と呼ぶ派)
まずは、ドリスの経歴について、私が所有する2冊の公式本をもとに整理します。
この公式本は、
1つはTHAMES AND HUDSON出版、ANDREW TUCKER著の63ページの写真集、
もう一つは、ドリスが2005年にパリコレ50回を記念して作成した328ページもある豪華限定写真集「BOOK」(当店で発売中¥11550)。
これによると、

Dries Van Noten Chronology

1958年
Dries Van Noten、ベルギー・アントワープ市生まれ。実家は、3世代続くテーラードの家系に生まれる。
1977年(18歳)
アントワープ王立芸術アカデミーのデザイン科(Antwerp Academy)入学。在学中に、フリーランスとして、イタリアやベルギーのたくさんのブランドのコレクションのデザインを手がける。

1985年(26歳)
最初の「Dries Van Noten」ブランドを、アントワープの小さなショップから立ち上げる。

1986年(27歳)
ロンドンメンズコレクションで、いまや伝説となった「アントワープシックス(Antwerp Six=アントワープの6人衆)」の一人としてショーをする。
NYの「バーニーズニューヨーク(barney’s NY)、ホイッスル(Whistles)、アムステルダムの「ポー」(pauw)といった世界的な有名ショップからオーダーを受ける。
オーダーを実現して、会社は拡大。
1987年(28歳)

メゾンを移転。その前は弁護士の大邸宅だったというアントワープの中心にある物件。
1989年(29歳)

アントワープの中心に最初のフラッグショップ(Modepaleis)をオープン。 建物は3層ぶち抜きの内装で、1831年に建てられた古い旅行用品店だった物件。

1991年(31歳)

最初のメンズパリコレショーに参加(1992 Spring/Summer men paris)

1993年(33歳)
パリとミラノにショールームを持つ。
最初のレディスパリコレショーに参加( 1994 Spring/Summer women paris)
1996年(37歳)
最初の子供服コレクション発表(1997 Spring/Summer)
1999年
TIRUF(当時アン・ジャスティス)でドリスのメンズを取り扱い開始(1999-2000 Autumn/Winter men Parisより)

We started selling DRIES VAN NOTEN mens in 1999.

2000年(41歳)
6万フィート四方( 18.3キロ平方)もの面積の波止場にある倉庫に会社移転。この建物は、戦中にドイツ軍と連合軍の両方の軍隊が兵宿舎として使用したGodefriduskaaiという6階建て建物。最上階からはアントワープの町が一望できる。
2004年(45歳)
パリコレデビューして、メンズレディスで合計50回目のショー。(2005 Spring/Summer women paris)
2006?2007年(47歳)
パリ、サンジェルマンデプレの裏通りに、パリ初の直営路面店をオープン計画中。

?さらにくわしく。。。↓
公式ブックその2によるドリス略歴

(BOOK P151?P155全訳)

*1958年5月12日生まれ。実家は、伝統的な縫製工場と洋服の専門店を営んでいた。第二次世界大戦中に、彼のじいさんが古着から新品をリメイクするテーラー技術を会得して、その後アントワープに最初のメンズの既製服専門店を開業する。
*1970年代に、彼の父がアントワープの街中に高級品分野の大きなブテックを開店、ウンガロ、フェラガモ、ゼニヤなどを扱った。
母は、フランチャイズでカッサンドレ(Cassandre)のブティックを経営し、レースやアンティークのリネンの素材を収集した。
家庭では、敬虔なカトリック(イエスズ会)の教育方針は、 厳しい道徳観念と実用主義だった。

こんな家庭の影響で、彼は素材産業における慣習や伝統に対して早熟な知識を持つことができたので、ドリスが、素材や、色、素材の糸組織や形について魅了されたとしても驚きではない。
まだ若い頃に、ドリスは父親と一緒に、ミラノやパリやデュッセルドルフのファッションショーやサロンについていき、そこでおこなわれるさまざまな取引の商売としての見方を吸収した。
*1976年、18歳でアントワープアカデミーファッションデザイン科(正式名称:the fashion design course of Antwerp’s Royal Academy of Fine Arts)に入学。
*1980年までは、ドリスは子供服のデザインもしていたが、同時に、父親のアントワープのブティックのバイヤーもこなしていた。
この頃の実務経験が、その後、彼が自身のブランドを立上げてショップでその服を売るときの貴重な経験となった。

*同年、99年に死去するまでドリスをバックアップしたビジネスパートナーのクリスティーヌ(Christine Mathys)に出会う。

*卒業後、自分のブランドを持つまでフリーランスのデザイナー活動を続ける。
*1986年、権威あるショップ(Barneys New York,Pauw in Amsterdam and Whistles in London)で取扱いが決まる。
*同年9月、ドリスはアントワープにあるアーケード街にちいさな最初のブティックをオープンする。ここで彼はメンズとレディスの服を売った。当初はメンズもレディスも同じ素材で作っていた。
*アカデミーの学生時代の仲間であったアン・ドゥムルメステール、ダーク・ヴァン・シーン、マリナ・イー、ウォルター・ヴァン・ベルンドンク、とその仲間(Ann Demeulemeester,Dirk Van Saene,Marina yee and Walter Van Beirendonck)らは、卒業後も交流を続け、接近した。
*1986年、同じベルギー人のダーク・ビッケンバーグ(Dirk Bikkembergs)とともに、ロンドンに渡航し、合同で、ロンドンファッションウィーク(British Designer Show)でショーを行った。
そこで彼らは、国際的な認識から(番頭注:彼らの名前は、英語読みやフランス、ドイツ語読みなどで発音が違うので、ヨーロッパ人にとっても覚えにくかったので、覚えやすいように)、アントワープシックス(the ‘Antwerp Six’=アントワープの6人衆)と名乗った。
*1989年、ドリスは以前のブティックを閉店し、ナショナルストラート通り(the Nationalestraat)の、以前はデパートだったという5階建ての物件に移転。その当時は、まだ未開でみすぼらしくてほとんど希望がない地域だった。
皮肉にも、この歴史的重要文化財建築の建物は、ドリスの祖父の代の最もいやな商売敵がかって所有していたものだった。
ドリスは、この建物の復旧に着手し、もとからあった古い設備や家具も保全してそのまま使用した。建物は、ヘットモードパレス(Het Modepaleis フランス語)やファッション パレス(The Fashion Palece)=ファッションの宮殿という意味?と名づけられた。 今日では、この地域は高級ブティックが立ち並ぶ地域となった。
*1991年、会社が急速に発展する中で、ドリスはパリにショールームとプレス事務所を持つ。この建物は、パリのパレ地区の中心地にあり、かって画廊だった建物。
その後第二のショールームをミラノにも構える。
*2000年、60000平方フィートの広大な波止場にある倉庫(Godefriduskaai)に会社機能を移転。ここはかって戦中に、ドイツ軍と連合軍の兵宿舎があった。今では、6階建ての建物は、世界中からあらゆる業種の会社事務所を受け入れている。最上階にあるショールームからは、アントワープの街が一望できる。
*ドリスは、ブランド立上げ時から経済的にはだれからも頼らずに独立しており、今日では、毎シーズン100000点が売られている。

さらに、会社は、アントワープと香港の直営ショップをもち、NYからLA、ロンドン、アムステルダム、パリ、ベルリン、そして東京まで、世界中に400店舗を超える取扱い店がある。

略歴に詳しくなったところで、
私が見たドリスヴァンノッテンとは、、、
99年、当時の日本代理店営業のAさんに説明されて、初めてドリスを見たときに、今まで見たことが無いファッション観に圧倒されたのを覚えている。
当時の当店ではW&LT(ウォルト)やヴィヴィアンウエストウッド、ヘルムートラングなどを扱うインポートセレクトショップで、いわゆる「モード系」品揃え。
客層は、高校生も多く、若くてファッションに敏感な人たちだった。
99年当時は、ギャルソン、ヨウジがまだ強く、いまにして思うとかなりへんてこな物でも「これもファッションだ!」みたいなノリで着こなしてしまうパワーがあって、普通の格好をしている人と、モードを着こなす人とで、意識の上でけっこう差があり、そんな中、ジルサンダーやプラダなどのビックメゾンが、誰でも(お金さえあれば)着れる大人向けのシンプル服を提案していた。ジャケットを街で着ている人はほとんどなく(ジャケットはおっさんが着る服として、ダサいアイテムだった)、羽織物のアウターとしては、プラダが提案していたようなジップアップのブルゾンが主流だった。
そんな中、ドリスの99秋冬のショーを見たときは衝撃的で、なんとドリスは、テーラードジャケットを提案していたのだった。
99年という年は、ミレニアム、90年代最後の年、として、各デザイナーが【20世紀とはどんな時代だったのか】を総括するようなコレクションを多く発表していた年で、
ドリスは、
 

「20世紀のメンズファッションとは、テーラードの進化の歴史だった。テーラードとは、すなわち、ブリティッシュの歴史である。
この貴重なテーラードという文化が、このままでは廃れていってしまい、誰も着なくなってしまうかもしれないので、
21世紀にテーラードジャケットを残す為に、21世紀に大人になるであろう10代の若いモデルを使い、ショーをした」

、、というような説明を、営業Aさんから受ける。
今では、街中でジャケットを着ている人を当たり前に見るし、だれでも数着はジャケットを持っているだろう。けれど、99年当時は、信じられないことに、ジャケットをファッションとして着ている人は皆無で、みんなブルゾンを着ていたんだ。そんな中で、ジャケットを提案し、それもクラッシックなヘリンボーン素材やブリティッシュなツイード素材多く使い、日本製のデニムを使い(99年当時で!!)、会場は、パリの有名な図書館(改装中のため、本が一冊もなかったそうだ)で、バックミュージックは、バッハのチェロ。モデルはみんな10代。ものすごくクラッシックで静かで厳かな雰囲気の中で、ひじに真っ赤なニットやそでに黄色の手袋を色のワンポイントで使い、静かだけどとてもストロングなショーだった。後から知ったことだが、このシーズンから、メンズは超優秀なパターンナーが加わり、クラッシックだが細いシルエットになった。また、多くのサンプルを一度にショーで見せることが難しかったので、当時有名なスタイリストのPaul Sinclaireがスタイリングをして、この独特の雰囲気を出すことに成功した。たぶん、一種の賭けだったのだと思う。
その後も、「ドリスらしい」といわれるような、ビックニットを使ったシーズンや、カラフルなシーズンなどがあり、今の2007年になるわけだが、
ドリスというと、このときの強力な印象から、クラッシックで、ノスタルジーで、エスニックで、カラフルで、、、、、といったイメージが私の中で定着し、
毎シーズン新しいものにチャレンジするドリス、というのがドリスの存在意義であるかのように思った。
ところが、
今日、2冊の公式本から、彼の履歴を調べていくと、
もともと確かに母親や家業の影響で、素材、特に伝統的な素材にはめっぽう強かったのだとは思うが、デビュー前は、ブレザー、シャツ、トラウザース(パンツ)を作ったものが評価され、デビューにいたるわけだが、そのデビュー前の服を見ると、めちゃめちゃトラッドな服を作っている。また、当時いち早くドリスの才能を見抜いたビックショップたち(バーニーズやポー)について調べていくと、バーニーズは、日本のバーニーズはモードでアヴァンギャルドな印象だが、本家NYのバーニーズは非常にコンサバなバイイングをするし、もう一つの、アムステルダムのPAUWを調べてみると、これまたものすごくトラッドなショップだった。ということは、ドリスはデビュー当時は、トラッドだったということになる。
その後、パリコレデビューしてから、毎シーズン工夫と斬新さを打ち出す路線になるのだが、49回目のショー(2005S/S)の、あのタータンチェックオンパレードだった凄いショーを最後に、ぴたりと、派手さがなくなり、シンプルでプレーンな路線になった。
昔からドリスを知る人にとっては、
かって派手だった頃のドリスが懐かしいし、ここ最近のドリスはどーしてこんなにプレーンな服ばかり作るのだろう、と、疑問にうすうす感じてはいるだろう。
私もその一人。
でも、他のアントワープ派のデザイナー、マルタンマルジェラやベロニクなどは、いまのドリスより、さらにさらに、プレーンな服を作っていて、ほんと、どこのブランドだかぱっと見てもわかんないような服を作っている。こーいった流れは、どうなんだろう、、、と私はこれも疑問だった。
この疑問が、解けるヒントが2つ最近あった。
ひとつは、雑誌メンズノンノのヨーロッパのストリートスナップを見たとき。
東京の若者たちが思い思いにファッションを楽しんでいて勢いがあるのに対し、パリはもっとシックで、そして、アントワープはめちゃめちゃにシックだった。
それから、雑誌ファッション通信だったかな?パリ在住のデザイナーや、アントワープのショップスタッフらのスナップショップをみると、もうめちゃめちゃにシック。プレーン。
このスナップショットをみて、たぶん、彼らヨーロピアンは、もうこんな風なプレーンな着こなしになっていて、イケイケの東京と違い、成熟したファッションに移行して行っているんだと感じた。
疑問に対するヒントのその2は、
当店で、クリスヴァンアッシュを買う人の買い方を見たときだ。
06SSで売れ筋は、顔のプリントがしてあるTシャツシリーズ。これは疑いなく売れたのだけど、シーズン立上げの当初は、「このTシャツで無地のものはないの?」「無地がいい」という声が予想以上に多かった。顔のプリントの方が、クリスヴァンアッシュだ、と分かりやすいし、買いやすいだろうと思っていたのに、実際には、進んでる人達の中では、もっともっとプレーンな物を欲しがっている人が多かったということだ。
これは、ドリスらアントワープ派が、プレーンで特徴が薄い服を作っていることと、流れ的には一致する。
この2点から、私の頭の中では、
市場やトレンドよりも、もっともっとプレーンな服を欲しがる成熟したファッション観の大人が、実は増えてきており、ドリスらは、そのような人に向けて服作りをしているのではないか、という仮定ができた。
そして、デビュー当時の、ドリスのトラッドな服を見て、
まさにこれがドリスの原点で、
パリコレのショーでエスカレートしていった斬新さは、ドリス本人の加齢とともに薄くなり、原点回帰をしているのではないか。
と思った。

「原点回帰」か。
そうかと思うと、
今季ドリスは、ブライアンフェリーのヒョウ柄を使ってみたり、
次のシーズンは、トレンドのグレーを使ってみたり、
まだ一貫性が無くてなんだかドリス自身の「迷い」のようなものを感じてしまう。
と、
ながながとドリスについて語ってしまったが、
こんな距離感が、いまのドリスに対する私の印象だ。

ドリスは、最近プレーンな服を作るので、とくにそうなのだが、実際に着て見てその良さが分かる、というブランドだ。

また、上下で着てみたり、それ以外のものとあわせてみたり、
基本的には「MIXできる服」が根底なので、いろいろにチャレンジしてみたい。
私も含めてそうなのだが、
ドリスはここ数年で変わってきている。以前のような全身コーディネートがドリス!というノリではもはやない。
その変化を感じて、汲み取ってコーディネートしてあげたい。
当店では、もっとも取扱い期間が長いインポートブランドなので、
ぜひこれからも注目して下さい。
セレクトショップTIURF
http://tiurf.com

all text and copy right taken by Takaaki Horigome 2006
番頭日記 banto nikki http://buyernote.seesaa.net

*注:2007年11月より、ドリスヴァンノッテンの取扱が
アン・ジャスティスからTIURF(チューフ)へと変更になりました。
当ブログは、情報サイトとして当時の記事をそのまま残したいという立場から、
アン・ジャスティス時代の記事も名称もそのまま残してあります。
現在は、同じ敷地内2Fの、TIURF(チューフ)で取り扱っておりますので、
ドリスヴァンノッテンについてのお問い合わせや通販は、TIURFあてまでよろしくお願いいたします。
TIURF ホリゴメ
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