イブサンローランが亡くなられた。各界からのコメント

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08年6/1、モード界をリードしてきた巨匠が逝った。
このニュースで本当に驚いた。
このブログを読んでいる読者の方は、若い人も多いと思うので、
中には、イヴサンローラン氏の顔も業績も知らないという人も多いだろう。
そこで、各界の声をピックしてみた。


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AFP通信 http://www.afpbb.com/fashion/2988634
20世紀の仏ファッション界の巨匠イヴ・サンローラン(Yves Saint Laurent)氏が1日の午後11時10分、パリ(Paris)市内で死亡した。71歳。
サンローラン氏の葬儀は、6月5日の木曜日にサントノレ(Saint Honore)のサンロック教会(Saint-Roch)で行われる予定だ。
◆ヴィヴィアン・ウエストウッド(Vivienne Westwood)
「サンローランは最もすばらしいクチュリエのひとりであり、完ぺきな仕事をする数少ない人物のひとりでもありました」
◆アレキサンダー・マックイーン(Alexander McQueen)
「サンローラン氏は、僕がファッション界にいる理由だった。ファッションとは、我々が生きる時代を予測するものでなくてはならない。彼は、60年代と70年代にそれをやってみせた。彼は正真正銘の天才。いつも尊敬し、見習っていた。」
◆ヴァレンティノ・ガラヴァーニ(Valentino Garavani)
「偉大な人物だった。無限の想像力をもっていた。共にパリでファッションを学んでいたとき、夕方にカフェ・ド・フロール(Cafe de Flore)で待ち合わせ、パーティーにでかけたものだ。彼は素晴らしいアーティストだった。」
◆ジャンポール・ゴルチエ(Jean-Paul Gaultier)
「彼はアイドル。見習うべき手本だった。」
◆カール・ラガーフェルド(Karl Lagerfeld)
カール・ラガーフェルド広報担当は、取材に対しノーコメントを貫いた。
◆クリスチャン・ラクロワ(Christian Lacroix)
「シャネル、スキャパレリ、バレンシアガ、ディオールも素晴らしいデザイナーだった。しかし、彼らはある特定のスタイルの中で仕事をしてきた。イヴ・
サンローランはそのスタイルすべてを組み合わせたような多才な人物だ。シャネルの型とディオールの豪華さとスキャパレリの機知を組み合わせたようだと思う
ときがあった」
◆森英恵(Hanae Mori)
「サンローラン氏はどのデザイナーよりも女性を理解していたと語る「彼は手本となる人物でした。他のだれよりも、新しい時代の女性のことを理解していた
と思います。彼は、働く女性たちのために、とても心地よくて、同時に洗練されたパンタロンをデザインしました。機能的だけど、エレガントなんです」
「サンローラン氏は、パンツスーツに自由な解釈を与えました。シルクのブラウスやプリントシャツと組み合わせることによって、男性のスタイルをフェミニンに変えたのです。とても好きでした」。
森は今もイヴ・サンローランのスーツをたくさん所有しているという。
◆芦田淳(Jun Ashida)
「初めてパンツスーツが登場したとき、あまり好きになれませんでした。今でもですね。女性の脚は、最もセクシーな価値あるものだという信念があるからで
す。しかしながら、彼は働く女性への観察眼をもっていました。時代を的確に予測し、世界を動かしたのです。彼はファッション界の帝王でした」
◆アレクサンドラ・シュールマン(Alexandra Shulman)英版ヴォーグ(Vogue)誌
「サンローラン氏が登場する以前は、裕福な人のための小さなサロンしか
ありませんでした。彼はそれを人々のあいだにもたらしたのです。彼には、若く、格好よかった。ポップスターたちが彼のもとに入り浸り、若い世代がサンロー
ラン氏と結びつくようになった」
英国放送教会(BBC)
のインタビューに対し、サンローラン氏がファッションの民主化を手助けしたと語る。
◆コレット・ディニガン(Collette Dinnigan)(オーストラリア人デザイナー)
「サンローラン氏は天才だった。なんて悲劇だろう。彼は、この世界に残された、象徴的なデザイナーのひとりだった」
◆平川武治
「巴里の“エレガンス”を僕のようなものに教えてくださったのはあなたでした」
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イヴサンローラン氏とは。

(TEXT BY AFP)

クリスチャン・ディオール(Christian Dior)、ココ・シャネル(Coco Chanel)、ポール・ポワレ(Paul Poiret)らとともに、20世紀のファッション界をリードした。トップデザイナーとして40年にわたり活躍していたが、2002年に引退したあとは長年、闘病生活を送っていた。
サンローラン氏は1936年8月1日、当時仏領だったアルジェリアの沿岸都市オラン(Oran)で誕生した。孤独で内気だったサンローラン少年はやがて服飾デザインに目覚める。1953年、17歳のとき、スケッチブックにしたためたデザインを携えてパリに上京。これがヴォーグ(Vogue)誌の編集者だったミッシェル・デブリュノフ(Michel de Brunoff)の目に留まる。さらに翌年、パリで行われた4つのデザインコンテストのうち、サンローラン氏が3つで優勝。残る1つは、カール・ラガーフェルド(Karl Lagerfeld)が優勝した。
若き青年の才能を見出したデブリュノフ氏は、ディオール氏にサンローラン氏を紹介する。ディオール氏の後継者として瞬く間に頭角を現したサンローラン氏
は3年後、ディオールの死去にともない、若干21歳にして同ブランドの主任デザイナーになった。サンローラン氏は後年、ディオール氏について「私はディ
オールに魅了された。彼の前では話すことができなかった。彼は私のアートの基礎を教えてくれた。これから何が起ころうと、彼とともに過ごした日々は忘れな
い」と語っている。
しかし1960年、同年代の多くのフランス人とともに、アルジェリアの独立戦争のために徴兵された。3週間も経たないうちに健康面から従軍を免れるが、ディオールの後継者にはマルク・ボアン(Marc Bohan)が選ばれた。
サンローラン氏はこのとき、当時ディオールで働き、後のビジネスパートナーとなるピエール・ベルジェ(Pierre Berge)
氏とともに独立。変化しつつある世界が新しい個性を求めていた1960年代初頭に、自分のブランドを立ち上げた。女性が経済的な自由を享受し始めた当時、
好景気に支えられた若者向け市場や、ポップカルチャーの隆盛を機に波に乗ったのだ。「パンタロン」や「サファリルック」、「モンドリアン・ルック」など、
彼が生み出すデザインは常に話題の的となった。
サンローラン氏の名前と「YSL」のロゴは、最新トレンドと同意語になった。プレタポルテライン「イヴ・サンローラン リヴ・ゴーシュ(Yves Saint Laurent Rive Gauche)」が誕生し、装飾品や香水も次々とライセンス契約が結ばれた。
1960-70年代は、日本に続き、韓国や台湾の市場にも参入。世界のファッション界をリードした。
サンローラン氏のよき理解者のひとりである女優カトリーヌ・ドヌーヴ(Catherine Deneuve)は、ショーには必ず出席していた。ドヌーブはサンローラン氏のデザインについて「彼は女性に二つの人生を与えてくれた。彼の服は、昼には知らない顔だらけの世界と対峙する支えとなってくれる。そして、友人達とすごす夜に魅力を演出してくれるの」
しかしサンローラン氏のキャリアが常に順風満帆だったわけではない。1971年、第二次世界大戦中のパリのスタイルをモデルにしたコレクションは米国か
ら非難を浴び、1970年代に「Opium(アヘン)」という香水を発表したときには、薬物使用を容認しているという批判を受けた。
1999年、グッチ グループにブランドを売却。2002年1月22日にパリで発表したオートクチュール・コレクションを最後にデザイナーを引退した。引退にともない、イヴ・サンローランのオートクチュール部門は閉鎖。後年には、長く病気で療養していた。(c)AFP


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さてさて、
わたしがサンローラン氏のことを知るきっかけになったのは、
10年くらい前、まだ在学中だった頃に青山のスパイラルホールで、サンローラン氏の写真展を見たときがきっかけだった。
恥ずかしながらその頃のわたしは、サンローラン氏がまだ生きているのかといったことも知らず、顔も知らず、
たたブランドの名前と、YSLのロゴを知っているだけという知識的貧窮ぶり。
で、その写真展では、スパイラルホールの螺旋状の階段に、大きなサンローラン氏の写真や功績が大きく取り上げられていて、
白黒の写真をたくさんみて、「ずいぶん古い時代から活躍してたデザイナーさんなのだなー」と思い、
その若かりし頃のサンローランさんは、細身でハンサムで、ストライプのスーツを本当に見事に着こなしていて、
「めちゃめちゃ男前やないか!」と素直に感じたのを覚えている。
いま、こうして、最近の写真も見ると、
当時の男前のままおじいさんになって、美人ぞろいのモデルの中でもぜんぜんオーラが負けてないのを感じる。
いままでサンローラン氏について知らなかった人でも、
多くのデザイナーや業界人が、未だに彼を「お手本にしている」という表現で彼の業績を伝えたり、
もっと最近になって、エディやクリスがYSLRGのデザイナー就任の際に、「歴史あるメゾンの一員になることができて幸せです」という表現を使っているのも、なっとくいただけるかと思う。
上のコメントで、「パンツルック」について言われているが、そのへんをもっとわかりやすく言うと、
サンローラン氏は、洋服学校出身の子なら必ず勉強する、「パンタロン」「モンドリアンルック」。
○○ルックという言い方で、毎シーズン新しい女性のシルエットを作ってきていて、そのネーミングもさることながら、
それがその時代(ウーマンリブ、女性がどんどん社会進出してきて活動的になり、男と同様、昼も夜もアクティブになった)にとって、
パンツルックが機能的で、なおかつそれが非常にエレガントであったわけで、多くの業界人に支持されたわけです。
昔は(恐らく)、女性は女性らしくしていなさい、という見方が根強く、
スカートをはきなさい、ハットと手袋をしなさい、という時代だったのでは?
そんな中で、おしゃれで機能的なパンツルックはとても斬新で、新しく社会的な女性に支持されたのです。
1939年、18才のときに、パリの4つのデザインコンテストで3つ優勝、残り一つは、カールラガーフェルドが優勝した、っていうエピソードは面白い。
デザイナー達の追悼コメントや、DISCIPLINE の平川武治さんのHPや、上の略歴を照らし合わせて見ると、
ディオール、ココ・シャネル、ポールポワレといった、20世紀の大巨匠デザイナーが逝ってしまったことが本当に残念だという気持ちになる。
あと、誰がいるんだろうというと、海外では
カールラガーフェルド、アルマーニ、ラルフローレン、カルバンクライン、ダナキャラン、ヴィヴィアンウエストウッド、JPゴルチェ。
日本人なら、森英恵、川久保玲、山本耀司、三宅一生、やまもと寛斎、それから、金子功、コシノジュンコ、花井幸子、菊池武夫、細川伸。(松田光弘氏は先日お亡くなりになりました)
その後も、たくさんの巨匠デザイナーがいらっしゃるけど、社会を揺さぶるほどの影響力がある人となると、かなり限られてくる。
たぶん、一番ファッションに多感な時期に誰に影響を一番受けたか、にもよるんだろうな。
わたしの世代だったら、たぶん川久保玲やヴィヴィアンや、その後のヘルムートラングに影響受けてるだろうし、
もっと若い子だったら、ドリスヴァンノッテンやニールバレットやショーン・ステューシー、もっと最近目覚めた子なら、ディオールオムのエディスリマンやクリスヴァンアッシュあたりだろう。
わたしなんて、まだまだファッション業界では入り口をウロウロしてるような人間なんで、
サンローラン氏のニュースで、「あ、あの方が、、、??」という程度だが、
多くの追悼コメントや歴史を読んでいくと、何か大きな物がこのファッション業界から無くなって、とてつもなく大きな穴が開いてしまった、という、そんな転換期を迎えた気分にすらなる。
これがパラダイムシフトかもしれない。
平川さんのHPには、こんなことが書いてあった。

終わった。
確実に、
一つの時代が終わった。
そして、
確実に時代は変わった。

あの時、彼がこの街に現れなかったら
この街のモードの世界も
閉塞感のみが蔓延した遅れた世界。

プレタポルテも誕生が遅れただろう。

はやく、
新たな価値観を
このモードの世界の新たなる価値観を見つけなければ、

どこかに、
早熟で
美しく、
逃げ足の速い
時代のアイコンに
辿れ着くことまでが出来る
赤子が生まれたに違いない。

星が流れる。

まるで転生輪廻のごとく、どこかで新しい次の「スタッフ蜂」が生まれているとでもいうのか。
わたしはバイヤーとしてそれを見極めたいと思う。


TIURF
Takaaki Horigome